平成26年7月10日(木)さわらび大学レポート「東日本大震災における自衛隊の活動について」

平成26年7月10日(木)さわらび大学レポート「東日本大震災における自衛隊の活動について」

日時:平成26年7月10日(木)14時~

場所:特別養護老人ホーム 第二さわらび荘 ふれあいホール

講師:第10師団自動車教習所所長 荻田省二3佐

 

今回のさわらび大学では、東日本大震災における豊川駐屯地の自衛隊員の方々の活動を中心とした、地震に対する知識及び教訓を講義していただきました。講義して頂きました荻田3佐は、復興活動の際、第十特科連隊に所属しており、被害状況の把握及び国会議員等の視察対応をされていました。

はじめに、三河地方の地震の特性を理解するところから始まります。三河地方の震源となりうる南海トラフは、30年以内には70~80%の確率で大震災が起きるといわれています。地震エネルギーがかなり蓄えられており、いつ大地震が来てもおかしくない状況となっています。

次に、東日本大震災の概要を見ていきます。平成23年3月11日午後2時46分18秒、マグニチュード9.0の大地震が起きました。地震後は大津波が襲来し、辺り一面がガレキの山となりました。被災地の地域力のみでは対処困難であり、国の力やボランティアによる救援活動が開始されました。死者15,885名(内91%が水死)、行方不明者2,623名、被害額は16~25兆円となる、史上最大規模の被害でした。

東日本大震災が起きて3日間で、陸・海・空自衛隊約11万人が、救援及び復興活動に参加されました。その中には自身や家族が被災された隊員もいましたが、現地で自衛官として任務を全うされていました。

豊川駐屯地の自衛隊の方々は、3月12日から5月24日までの75日間、被災地に対して災害派遣活動を行っております。約1300名の隊員の方々が、主に宮城県亘理郡山元町で活動されました。山元町は、面積は65k㎡、人口17,000人の町で、人口の3分の1が海岸部に集中しています。15時50分、大津波が襲来し海岸から1.5㎞までの地域でほとんどの建物が流出・倒壊してしまいました。最終的な被害は、死者653名、全壊家屋2,217棟、廃車車両2,000台となりました。

復興作業において、ガレキの撤去作業が必須なのは明らかですが、撤去作業の調整先を探すのに苦労されたそうです。地震の際、山元町の線路には貨物列車が走っており、その場で地震の影響を受けてしまいました。鉄道会社に連絡をとり、貨物列車及び線路のレールの撤去の調整を行おうと思ったところ、貨物列車とレールでは管理している会社が違うということで、さらに別会社と調整を取らなければなりませんでした。同じように、二級河川は県の土木事務所ですが、用水路は別の管轄といった事もあったようです。このようなことが諸所で起こり、少し混乱されたという話をお聞きしました。

豊川自衛隊の方々は、山元町役場を指揮所として活動されていました。被災地到着直後の偵察活動は、なかなか車両(四輪車)動けるところがなく、オートバイ(二輪車)での活動が中心でした。冠水した地域での活動では、ゴム胴長を履いて捜索を続けられ、排水口の中までくまなく捜索活動をされていました。道路が寸断された地域では、ヘリによる救助活動が行われました。

このような自衛隊の方々の活動のおかげで、人命救助19,266名、ご遺体収容9,500体という数字が、全体で記録されています。

復興支援活動当初は、重機やダンプもなく全て手作業で行われていました。撤去作業が進むにつれ、重機が入ることができるようになり、様々な重機による撤去作業が行われました。山元町の最終的なガレキ量は53万トンとなり、これは大型ダンプ68,520台分になります。

その他に、生活支援活動も行っておりました。山元町では、最大19ヵ所の5,826人が避難所で生活しておりました。食事は一日4,000食作られ、全て愛知から輸送されています。提供した水量は413トンで、入浴者総数は40,219名となりました。3日に1回はお風呂に入ることが出来ました。冬の寒い時期でもありましたので、風邪やインフルエンザにかかる方も見え、医療活動も行っておりました。120名の方が利用されました。

電気の復興は早かったのですが、逆に下水の復興には1年かかるといわれました。下水が機能しないため、臭いもひどかったようです。その点の対策としまして、町自体に消毒活動も行っております。

復興活動が進むにつれ、4月下旬には仮設住宅が利用できるようになりました。交流活動では山下中学校の生徒とソフトボールを行い、町の方々と憩いの時間を過ごされました。5月24日の最終日には、町の方々が盛大にお見送りをしてくださいました。

このような大震災を教訓として、見直さなければならない点が見えてきます。ハザードマップの見直し、災害時の非難手段の確保、非難マニュアルの整備等々、様々な問題点が浮かび上がってきます。東海地方でマグニチュード9の地震が起きた場合、豊橋に来る津波の大きさは最大で19メートルにもなります。

上記の点をふまえ、

・防災に関する勉強や訓練・対策をしっかりとする

・地域の人々と交流を深め、困ったときは助け合う習慣をつける

・節約や節電を心掛け、いざというときに備える

これらを日頃から心掛け、災害時には自分で判断せずに確かな情報を入手することで、被害を最小限に抑えることが出来るのではないでしょうか。

この場を借りまして、講義してくださいました荻田3佐にもう一度お礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

(さわらび会研修委員 新井)